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実行委員長のひとりごと

私が勝手に師匠と呼ばせてもらっている西川さん(故人・第1回実行委員長)は、「今ある授業書の研究をしっかりとしなさい」とよく言われていました。だからかもしれませんが、兵庫サークルのメンバーは、30 年ほど前は大会にはほとんど行っていなかったんですね。でも,「仮説実験授業セミナー」や「授業書セミナー」にはみんな参加していました。先輩たちは「大会に行くお金を、授業書を学ぶために使った方がいい」というような感じでした。ただ、西川さんは「一年に1回ぐらいは、板倉親分の 話を聞いた方がいいよ」とも言われていました。「会員になったからには,夏の大会には行きなさい」ということです(笑)。まぁ当時は、板倉先生は毎年尼崎来て下さっていたので、板倉先生のお話を,年に一回は聞けていたのですが。

余談ですが、西川さんの遺品整理をしていた時、昔、西川さんが板倉先生の話を勉強したいと思われて、録音したカセットテープや、板倉先生に送ろうとしてノートに綺麗に書かれた授業 記録や,予想分布が書かれたメモが沢山出てきて、板倉さんの考えを本当に大切にしていたこ とを、改めて感じさせられました。

私が初めて夏の大会に参加したのは、宝塚サークルができた年の、山口の大会でした(冬は一人で第1回の宝塚大会に参加した)。たまたま西川さんと車で行くことになったのですが,その車の中で,ためになる話をたくさん聞くこともできました。西川さんは,大会に行かれる前は、健康管理に気を使っていたようです。大会に行けば、全国の若い人 たちに話す機会があるから、3日前ぐらいから酒を断って、夜に若者と付き合ってたくさんお酒を飲んでもいいようにしていたそうです。当時も,西川さんに話を聞いてもらいたい人が,全国にたくさんいたんです。

大会では,私たちもよくお酒を飲んだりして、板倉先生の話を一番前で,失礼ながら寝ながら聞いていたような状況でした(笑)。

その後、私が、セミナーや四条畷学園小,ノートルダム小,そして百合学院小などで,公開授業や講師をさせていただけたのも、西川さんや、犬塚さんが推薦してくれていたようで す。今思えば、それは自分にとってはとてもいい経験となり,とても価値のあることでした。西川さんや犬塚さんに,本当に感謝してもしきれません。

話がそれましたが,これまでは、ホテルが無くてできなかった夏の大会ですが、今回、音田さんがホテルを見つ けてくれて、周りが「やれ!やれ!」とうるさく言ってくれたおかげで大会ができることになり ました。ちょうど、私が定年退職の年に大会ができるということは、運命のめぐりあわせかなとも感じます。このナイター(北摂大会決定祝賀会)も、兵庫や宝塚サークルのメンバーが来てくれるぐらいかなと思っていたけれど、篠山,大阪,京都,そして愛知など多くの方に参加してもらえたのは、西川さん犬塚さんのおかげだと、思います。

ちょっと泣きそうになってきましたが、私は本当に何もしていないんです。 ホンマに、我が道を行っただけです。わがままで好きなことだけをやってきたので、それで、これだけの人が来てくれたことが嬉しくて。本当に感謝しています。

これからは、板倉さん、犬塚さん、西川さんのような「自分たちが見ているから,大会に立候補してみたら」と いう人たち(第一世代)がいなくなり、若い人たちが手を上げにくく、夏の大会がやりにくくなってくるのかもしれません。それが、来年の大会を運営する中での課題となるのかもしれません。それこそ,これからの「大会の仮説実験」なのかもしれません。近畿地区の皆で,第三世代の若 い人たちを意識しながら頑張りましょう。どうぞよろしくお願いします。(2019.7.30)

 

2019年夏の大会(御所湖)/ナイターにて

東垣 淳​

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